家庭と仕事と、人生と

独り言(エッセイ)

私は、男性で育休を取得している(しかも三か月)。
しかし、育休とは楽しいこともあるが、後ろめたかったり、ややこしかったり、板挟みであったり、哲学的でさえあると思う。そんな育休期間を過ごした身として、自分なりに考えて気づいたことを書き留めてみた。

「育休を3か月取得しました」と宣言すると、(看護師や友達など)出会った人みんなに褒められる。俗にいう「イクメン」というやつだ(内心、悪い気はしない)。
しかし、実際に育休を取得する段階になると、仕事と家庭のはざまで思い悩み、結果として育休の取得が中途半端になってしまった。
まず、仕事が忙しい時期ということもあり、週に一日だけ出社するという、なんともどっちつかずな休みかたをした。そのうえ、仕事が忙しくなってきたと、後半は週2日出社になり、最終的には3ヶ月より前に職場に完全復帰してしまった。

自分としては、育児の時間を確保しつつ、職場への迷惑も最小限にして、上手く立ち回ったつもりだったのだが、悪く見れば八方美人な器用貧乏者ともいえよう。
実際に職場では(間接的にだが)「そんなに休むのか」という反応をされたし、家庭では「仕事に行ってしまうのか」という目を向けられたことは一度や二度ではない。

しかし、これだけなら「育児と仕事で板挟み」という話で終わっていたのだが、そんな私に根本的な問いかけを投げかける存在があった。

その存在とは、私の同僚の男なのだが、彼も私とほぼ同じタイミングで同じくらいの期間で育休を取っていた。ただ私と違うのは(自分いうのもなんだが)、彼は職場の人間から、「あいつは仕事を丸投げして休みにはいりやがった」と、後ろ指をさされており、評判がすこぶる悪かったのである。
というのも、彼はやるべき仕事をほっぽって、引継ぎもろくにせずに無理やり育休に入ってしまったのだ。これでは、残された同僚たちは、たまったものではないだろう。
私もその男を責任感のない人だと思っていた。

しかし、ある時私はふとした問いかけを抱いてしまった。
その男と私を比べた時に、「父親という観点では、仕事をほっぽり出した彼のほうがよっぽど良い父親なのではないか」、という問いかけだ。

私は常々、人生の優先順位は明確にあるべきだ と思ってきた。
仮に家庭を第一とするのであれば、職場から(多少の?)恨みを買ったとしても、それにビビらずに育休をとるべきだろう。その意味では、その男は優先順位を違わずに、堂々と面の厚い顔でそれをやってのけたといえる(そういえば、実際に面の厚そうな顔をしていた)。
逆に、職場に気を使いながら育休期間を調整した私は、「優先順位が曖昧な半端もの」といわれても間違っていないだろう。

人生について何を優先すべきか。
仕事をとるか、家庭をとるか。
そんな命題は永遠のテーマであるし、正解がないことはわかっている。
しかし、私は潜在的に職場で「役立たず呼ばわれ」されたくないというプライドがあって、それを守ることを前提にした行動をしていたと気づいた。つまり、実は優先順位が「自分=家族」ではなく、「自分>家族」だったわけだ。

でも、これが悪いことだとは思っていない。私は(隠れた)負けず嫌いなので、役立たずという目で見られると、とても悔しくなってしまう。負けず嫌いとはいえ、自分のささやかな能力では、「すべてのことに必勝」というわけにはいかない。そのため、大人しく負けを認めることがほとんどだが、いくつかは譲れない戦いがあり、職場での評価というのもその一つなのかもしれない。

ただ、このことに気づいた時に、これまで「自分の仕事にプライドがない人」をみると(内心で、少しだけ)さげすんでいたのが、それは間違っていたと感じた。仮に職場でうだつの上がらないおじさんだったとしても、家庭にとっては最高のお父さんかもしれない。
要は人生において何を優先しているかということでしかないので、単一のコミュニティで一面的に人間を評価してしまうのは、完全に間違っていたと気づかされたのだった。

育休期間は、子供の世話も大変だが、物思いにふけることができる時間も増える。
この記事を読んでいる方も、育休をとったら自分の人生や、家庭、仕事について見つめなおしてみると面白いかもしれない。

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